妄言を吐き出すところ

心が素直に歪んだ 綺麗な汚物大学生です

100パーセントってどの時間軸の自分の100パーセントなのかという話

こんばんは、いきなり謎なタイトルで書き始めています。いきです。

 

さて、前回はこのような記事を書かせていただきました。

 

gerosu.hatenablog.com

 ある種、僕を選んでくれないベンチャー企業への愚痴とも捉えられるような

記事でしたが多くの人に見てもらい

それなりに反響があったなと思っています。

 

あんな長い文章読んでくださって、ありがとう御座います。

 

 

今回も懲りずにインターン中の出来事から思ったことを書きます。

 

「あなたは何かをするときに

80パーセントくらいで妥協してしまいますか?」

 

これは某企業でインターンに行ったとき受けた

自己診断の問いの一つです。

(内容が多少違いますが、だいたいこんな感じです)

 

そこのインターンって学生がグループ作って行うのですが

この問いについてみんなで話し合ったとき

 

「私は、100パーセントじゃないと気が済まないな」とか

「少し僕は手を抜いちゃうかな」など話し合いをしていました。

 

このときに

100パーセントをどのように捉えているんだろう

という疑問が浮かびました。

 

 

100パーセントに捉えかたも何もないでしょ

 

 

そう思う人も多いと思いますが

100パーセントの捉え方次第では

人が新たなことになかなか踏み出せない理由

もわかってくるのではないかと僕は思ったんです。

 

例えば、今僕が書いているブログだと

文章を書いているときによく

 

こんな文章で大丈夫なのか

もっといい文章が書けるはずなのでは

 

と思うことがよくあります。

これは、書きながら

自分がいま100パーセント脳を振り絞って書いているか

という迷いからきています。

 

ですが、この100パーセントってよく考えてみたら

未来軸の自分における100パーセントだと思うんです

 

この数時間、いや数日後に存在する

文章的な技術が備わった自分。

これを現在の自分の100パーセントだと勘違いしているんです

 

もし、自分の今の100メートル走の記録が11秒で

過去の100メートル走の記録が12秒だったときに

 

「昔の自分は100パーセントの力を出しきれていなかった」

そう思うでしょうか?

 

もし、過去の自分がそのとき本気で走ったのなら

そんなことは絶対に思わないでしょう。

 

この100メートル走の話を可笑しいと思った人は多くいると思います。

しかし、このように未来や過去の時間軸に存在する自分を

現在の自分と混同している人は多くいます。

 

自分にはまだこれが足りない、あれが足りない、だから、やっても意味がない。

 

そうやって新しい分野に進んで挑戦ができない人は多くいます。

文章、プログラミング、音楽、スポーツ

 

とりあえずやってみればいいでしょうが

 

ほら、偉い人も言ってるでしょ

とりあえずやってみろって

 

あれ、もう少ししっかり書くと

今の君ができる100パーセントでやってみろってことです

今、知識がいっぱいなくてもいい

技をいっぱい持ってなくてもいい

 

あなたが今出来うる限りの力でやってみるべきなのです。

今のあなたは成熟した未来の自分の姿の前借りです。

そう思ってがむしゃらにやってみるべきなのです。

 

 

 

 

途中からよくわからん文章になったのでこれは僕の100パーセントではない

 

 

 


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香港100万ドルの夜景


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香港のそごう