妄言を吐き出すところ

心が素直に歪んだ 綺麗な汚物大学生です

常識を疑え自己啓発本は燃やせ

どうもいきです。

 

みなさんいかがおすごしですか

 

ぼくは風邪を引いています

多分先輩の家のゆかで寝たからだと思われます

しょうがないね

 

みなさん自己啓発本って知ってますか

あれです。

 

「成功者になれる法則」

みたいなやつとか

「できる人の法則」

とか

「邪婬について」

などみんながよくビジネス書とかのコーナーを見かけるとよく見るやつです。

 

僕自信は自己啓発の本とかたまに読むくらいには好きなんですが

しっかりものの諸君からしたらごみほどにやくにたたないですよねあれ。

 

 

自己啓発本が必要とされているのは

実際の知識として役立てるのではなく

 

自分の人生どうしようか

俺はこのままでいいのか

って困ったときに多動力とか読んで

ホリエモンの成功理論を理解して

 

ぼきゅ、ほりゅえもんになりゅ~~♥️

とかそういう心の支えのためにあるんだと思ってます

 

 

でも、そんな自己啓発の本も最近では

すごくお粗末な本が多い。

そう思うのです

 

例えば

死ぬこと以外かすり傷

死ぬこと以外かすり傷

 

知る人ぞ知る箕輪さんの名著ですね。僕はあんまり知らんけど。

 

この本を読んでみると

 

ホリエモンはこういう人間だった

俺のこういう考えがいまの信頼に繋がっている

 

とか

 

もうそれただのエッセイじゃございませんか???

 

確かに営業で相手を誘うために

相手の思考を模倣するっていうのは

営業目線からしたらビジネスといえるかもしれませんが

 

ビジネス書らしいところはほぼ皆無です

仮面ライダー皆無です。

 

自己啓発本=ビジネス書になっている事実には目をつぶろうと思います(あんまり許せんが)

 

それでもこの本は自己啓発ですらないような気がしたので

ビジネス書コーナーにあるべきではないです

 

すこし詳しくいうと

自己啓発本の目的がもしも

読者の能力向上や成功の手伝い

それを目的としているなら

 

もう少し読む人にたいして

文章内での環境についての分析と説明をすべきでしょう。

 

例えば、

わくわくするということはどのようなことか

常識に惑わされないとはどのようなことをいうのか、どのようなものを常識と呼んでいるか

 

のような掘り下げをすべきだと思うのです。

 

常識っていっても、みんなが非合理的行動であるのに関わらず重要なものとしてとらえているものだったり

 

先人が数式などの科学的根拠を用いた結果に現在人間社会に浸透しているものとか

それぞれで意味合いは大分違いますからね。

 

前者の意味で筆者が常識を疑えと言ったとき

後者の意味で読者が捉えると

 

「水は毒!水素は健康!マイナスイオン万歳!」

なんていう妄言増し増し人生カラメな人間が生まれるわけなのです。

 

今、日本社会に妄言使いが多く存在するのは

少なからず自己啓発本

勢いだけで適当に書く筆者と

 

あまり精読をしていない(であろう)

編者の責任が大きいでしょうから

反省してくださいね(^^)

 

 

会話であれば同じ舞台で世界を共有できているので設定などはしなくてもよいと思う(勘違いしていてもすぐに説明できるし)

ブログもコメント書けば筆者はすぐに気づけるしね

 

だが、本においては別だ。

読者の勘違いを筆者は感じることができないし、読者自身が筆者に物言いできるほどの環境ではないため、筆者は読者により配慮をもって文を書くことが望まれる。

(口調が急に変わるスタイル)

 

ちなみに最近読んだ社外取締役って小説が面白かった

なんかおじさんたちの陰謀が渦巻いていてすごかったよぉ~ふぇ~

社外取締役 (幻冬舎文庫)

社外取締役 (幻冬舎文庫)

 

終わり

 

(前の文では校舎の意味で常識をとらえ、疑うこと自体を否定しているわけではないです。データに対する違う考察の余地があるのなら疑う余地は十分にあるので。この文章では自己啓発本における世界観設定の無配慮さについて言及していて、それをもって自己啓発本が粗悪になっていることを問題としています)