雑記ブログらしい雑記
12月30日、高校の頃の同級生らと飲んだ。
多くの鹿児島の人間に喧嘩を売った一年だったと真に感じているため
鹿児島には帰ることができないなぁと思っているのだが
それでもやはり、青春の一部は彼らの存在なしになりえないものなので
彼らと再びこうして出会えたことをとても誇りに思っている。
なぜか、お酒を飲みながら急にLGBTについての議論をしたのは覚えている。だがしかし、アルコールを注入して語られる会話などたかが知れているのである。
次は、シラフの状態で話したいなという気持ちもあるし、あの朧げな夢でも見ているような感覚に襲われていたから、あんな会話ができたのかも知れないという気持ちが入り混じる。
そこからの記憶はない、ただ覚えているのはトイレを見かけた瞬間での、実家以上の安心感とその後の爽快感だけだ。
そうして、12月31日二日酔いでライフがほぼ0の私の前に、年末恒例のすき焼きが実家で振舞われる。
すき焼きほど、笑顔で暴力を振るってくる料理もない。あれは優しいように見えて、そう見えるだけなため全く優しいなんてものではない。ただの暴力である。
ただ、嬉しいことにちょっといい肉を使っている。
ミーハーな私にとってちょっといいという属性を纏った食べ物ほど素晴らしいものはない。
残念ながら、私には味の良し悪しが全くわからぬ。
音楽においてもその美醜を適切には判断ができぬ。
そのため、私はちょっといいという属性を食べているのである。
牛肉にまとわりついた「ちょっといい」という属性を体全身にめぐらせ、自分を活気付けていく。そうすれば、牛肉の良し悪しなどわからなくてもそれなりに気持ちよく食べることができる。
これは、覚めるべきでない幻想だ。もし、これから覚めてしまえば瞬間、食事が窮屈になってしまいまともに生きていくことはできないだろう。
そう、属性を食べているんだ。などと、二日酔いの時になると無駄に考えてしまう。
だが勘違いしてはいけないのだが、決して賢くなったわけではない。
二日酔い時の思考などただの思考の寄り道でしかない。実際に、足がふらふらと動くようにその頭の中も望まない目的地に向けてふらふらと歩いているような感覚に近い。
とか、変なこと考えてしまうから二日酔いは嫌なんだよなあ。
酔いも覚めそうなのでここら辺で止めよう。
うん、止めよう。
うん、あけおめ