自由の恐怖
ひさしぶりにくら寿司に行きましたが
回転寿司も食べられるもんですね。
〆さば寿司とか好きなので普通に食べられてとてもよかったです。
ゴミ箱とかに一回入れていようが美味しいものは美味しいんですね。
バイトの人たちって大変だなあ。
さて、僕が所属する経済学部では卒業をするために必要な単位数が他の学部と比べて少ないため、今のような時期にかなり時間に余裕ができて行きます。
そのため、プログラミングや公務員の勉強したり、バイトに精を出したり、Tinderでひたすら右スワイプしていったりなど様々な過ごし方をして行きます。
僕は、ずっとゲームしています。
はい。そろそろ将来に対して重要な時期になってきました。
が、ゲームばかりしています。
それでは、重要なこの時期にゲームばかりを僕はしているのでしょうか?
理由なんて…
あるわけないでしょ。
惰性でずっとゲームばっかりしていたのです。
スマブラ→LOL→待ち時間にスマブラ、といった感じに延々とゲームばかりしていました。
スマブラでアドベンチャーゲームばかりしてリュウのコマンドを覚えながらひたすら1v1をしていって、飽きたらLOLするかあって言いながらマッチングの待ち時間でスマブラをしていく毎日…
そうしていくとね、思うわけですよ。
これはやばい、と。
自由の厳しさ
よく、世間では「自由であることはいいことである。」といった価値観がもてはやされます。
働き方も自由で、生きる場所も自由で、どのように過ごしていくかも自由…
自由自由自由自由GU自由自由自由
そうして、僕はゲームをし続けるといった自由を手に入れましたとさ。
しかし、それだけではやはり退屈なのです。
誤解して欲しくないのは、ゲームが嫌いなわけではないんです。
スマブラでクリアできなかった面が運良くクリアできた時カタルシスが半端ないです。
LOLにおいても集団戦でキャリー(勝利へ導くこと)をすれば、ドーパミンがドバドバで天にも登る気持ちになるのです。
この場面がとてもよかったなどと感想を言い合う時には人と人の繋がりを感じます。
でも、退屈なのです。
自分のやりたいことをやって、そして多くの人と繋がれて計画上は幸せになるはずなのですが、
退屈なのです。
でも、それがなんなのか全くわかりません。
なので
なんなのかわからないけどとりあえずLOLをアンストしました。
まあ、就活が解禁されるのも近いのでね。
ここらへんで踏ん切らなきゃと思いまして
Twitterも消しました。
何か起きても何が起きなくてもtwitterのアプリを開こうとしている自分を客観的に見て、怖いなと思いました。
今では、ブラウザ版でTwitterを見ています()
Twitterの恐怖。