妄言を吐き出すところ

心が素直に歪んだ 綺麗な汚物大学生です

責任感から遠ければ遠いほど文章書くの捗る

あけましておめでとうございます
とか言いながら今年二つ目のブログ更新なのです。

これはブログ書いていて思うのですが
どうやら文章というものは
自分の責任感というものから遠いところにあればあるほど
文章書くこと自体とても捗るのですよ。

 

例えば、酔った時の夜、
文章書いてみよう〜って思って
思いつく限りのことをぱぱぱっと編集画面に打ち込んでみると
とても多くのことが書けるんですよね。

だがしかし、全く酔っていないし
「俺は発信するために文章を書いている!」
とかいう大義もって書いてみると文章書くのすごい遅くなるんですよね。

自分でもね、これなんでかなと思いながら考えてみると
どうやら「書いている文章に責任感を持とうとしているから」っぽいのですわ

どういうことだってばよって話ですが
簡単に言えば
文章を書きながら
「自分の考えがところどころ甘い」という点について
いやでも気づいてしまうのです。

自分の頭の中ではぼんやりと
これとても素晴らしい考えなのでは?
というものでも
いざ、文面で見てみればゴミのゴミみたいな形になってしまうのです。

でも、これを悲しむことはないなと僕自身は思っています。
なぜなら、自分で悩んでみるという過程こそが
「学びの過程」だと思っています。

自分自身が書いている物事について
正しいかな、本当にそうかな?
どのように思われているのかな?

そう考えながら文章を書くときほど
怖いものはありません。
今までも文章を書くときはそのような感じでした。

ネガティブな感情ばかりが
表現をする瞬間にはどうしても付きまとうものです。

しかし、レポート作成においては
とてもスラスラかけます。

なぜなら、
「もともと詳しくもないことについて書くことにおいては
書きながらの反省など微塵もしないからです」

そのため、レポート作成に苦しんでいる
大学生諸君は
「自己反省をすることのないような妄言」をいっぱい書きましょう。

これは僕が大学3年間で培ってきたスキルです。
授業のレポート(文系)が進まない理由は
「たいして、詳しくもないものについて責任感を持って
レポートを書こうとするからです」

みんな妄言を書きましょう。

 

※本記事はやっつけで書いています。

雑記ブログらしい雑記

12月30日、高校の頃の同級生らと飲んだ。
多くの鹿児島の人間に喧嘩を売った一年だったと真に感じているため
鹿児島には帰ることができないなぁと思っているのだが
それでもやはり、青春の一部は彼らの存在なしになりえないものなので
彼らと再びこうして出会えたことをとても誇りに思っている。

 

なぜか、お酒を飲みながら急にLGBTについての議論をしたのは覚えている。だがしかし、アルコールを注入して語られる会話などたかが知れているのである。
次は、シラフの状態で話したいなという気持ちもあるし、あの朧げな夢でも見ているような感覚に襲われていたから、あんな会話ができたのかも知れないという気持ちが入り混じる。
そこからの記憶はない、ただ覚えているのはトイレを見かけた瞬間での、実家以上の安心感とその後の爽快感だけだ。

 

そうして、12月31日二日酔いでライフがほぼ0の私の前に、年末恒例のすき焼きが実家で振舞われる。
すき焼きほど、笑顔で暴力を振るってくる料理もない。あれは優しいように見えて、そう見えるだけなため全く優しいなんてものではない。ただの暴力である。

 

ただ、嬉しいことにちょっといい肉を使っている。
ミーハーな私にとってちょっといいという属性を纏った食べ物ほど素晴らしいものはない。

残念ながら、私には味の良し悪しが全くわからぬ。
音楽においてもその美醜を適切には判断ができぬ。

そのため、私はちょっといいという属性を食べているのである。
牛肉にまとわりついた「ちょっといい」という属性を体全身にめぐらせ、自分を活気付けていく。そうすれば、牛肉の良し悪しなどわからなくてもそれなりに気持ちよく食べることができる。

これは、覚めるべきでない幻想だ。もし、これから覚めてしまえば瞬間、食事が窮屈になってしまいまともに生きていくことはできないだろう。

そう、属性を食べているんだ。などと、二日酔いの時になると無駄に考えてしまう。
だが勘違いしてはいけないのだが、決して賢くなったわけではない。
二日酔い時の思考などただの思考の寄り道でしかない。実際に、足がふらふらと動くようにその頭の中も望まない目的地に向けてふらふらと歩いているような感覚に近い。

とか、変なこと考えてしまうから二日酔いは嫌なんだよなあ。

 

酔いも覚めそうなのでここら辺で止めよう。
うん、止めよう。

 

うん、あけおめ

 

おすすめしたいChet bakerの名演

どうもいきです
もう直ぐ年末ですねー
寒くなりますねー

茶番は置いといて本編に入ろうと思います。

Chet Bakerって何者?
チンピラにボコられて歯が折れたって本当?
とかいうアフィブロ文体も置いておこうと思います。

僕はトロンボーンを吹いています。
しかし、よく聞くのはトランペット奏者のChet Bakerです。

なんでかはわかりません。なんかいつの間にかそうなってしまった。

そのため、ここで皆様に僕がお勧めするChet Bakerの名演をお送りします。

Chet Bakerってあれだよねー。
柔らかいトランペットが−

 

ダメです。奥さん。
今日はそんな、ステレオタイプ捨てちゃいましょうほらほら。

ただ甘いのだったら僕は、こんな投稿しないですよほらほら。

どうせお勧めするんなら徹底的にヘンテコなの貼りたいのです。ほらほら。

 

それでは一曲目いってみましょう。

A Night in Tunisia

 

www.youtube.com

特に書くことはありません。
チュニジアやってるの珍しいでしょ?って言いたかっただけ
本当にそれだけ。

 

Bernie's Tune

 

 

大好き。
Gerry Mulliganとのいざこざがあった1950年代を思うと
このBernie's tuneの絡み方がとても綺麗。

Chetはトランペットではあるんだけど
なんとなくテナーサックスのStan getzと役が被っている感じが否めないのですよね
バリトンだと住み分けができてていい感じがする。

それにしてもこの年代にしてはソロが短いなあと思う
(ここらへんのライブだとだいたいソロが4〜5分あることもよくある)
やっぱり不仲なんじゃ

 

Portrait in Black and White

 

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これが彼のやってきた全曲の中で一番好きかも知れん。
一応ボサノバではあるんだけど
ノリはボサノバっぽくなくてスッキリしている。

メロディのどこか悲しいような不安さを感じさせてくれるんだけど
ソロではその色にとどまらず、鬼気迫るような圧倒的シーンを見せてくれる。
ここの圧倒さには筆者驚きました。(このシーンだけを文字通り100回以上聞いた)

そして、某ソウルメイトとソウルが共鳴したのもこの曲

実はこれ東京でのライブなんです。
びっくりしませんか

びっくりしませんか

こんなん日本で聞けるなら残尿ものですよお兄さんお姉さん。

そして、当時の日本の技術力の高さを思い知らされたのも
このアルバム

数多くのゴミ音質で有名なChet Bakerの中でも
圧倒的に音質がいい。

多分、これ日本が音とったやつだと思うんですよね。
日本がとったんかな?いやとってないかもしれへんわ、紹介するのやめとくわ確信がないわ

一説によると、薬を抜いた状態のライブだったらしい。

このアルバムはChetだけでなく、
PianoのHarold Danko
BaseのHein Van Der Geyn
DrumsのJohn Engels全員が地味にすごい。

この中の誰もあまり名前を聞くような人間ではないのだが
どの曲においても見られる”控えめではあるが大胆なサプライズ”が
とても好き。

このアルバムは今年の四月からずっと飽きずに聞いてますね。そんくらい好き。

もうね、好き。

 

Have you met miss jones

www.youtube.com

今までの曲の中で初めて、歌付きをいれてみました。

これの聞きどころは
ごめん、僕もよくわかりません。
というより、僕はこれをあんまり名演だと思っていないです()

しかし、曲の最後のメロディ部分
僕はどうしてもそこを聞いてほしいのです。

聞いていればわかるのですが、
メロディに入るところを彼自身ミスってしまい
客に笑われてしまいます。

そして、メロディの途中で声が裏返ってしまい
そこでさらに笑われてしまうのです。

しかし、最後の声の伸びは彼の今までのミスを帳消しできるほどに
素敵なものなのです。

だから、すごいすこです。

 

最後に

In Tokyoのテイクみんなも聞いてくれ
以上。

テニミュ芸術論

こんにちはいきです
久しぶりのブログ更新です。
みなさまお元気でしょうか?

もうすぐ年明けということで世間はクリスマスや正月準備などで慌ただしくなっております。

どうせなら年末ということで
僕の大好きなある一つのことについて語ろうと思います。

 

それは「テニミュ」です。

 

テニミュテニプリのコンテンツの一つでテニプリの世界観をミュージカルで表したものです。
それと同時にニコニコ動画の方では、演者のセリフ一つ一つを空耳でコメントに書き込んでいくネタコンテンツとしての要素が強いです。

 

そんな、ネタにされながらも愛されているテニミュなのですが
音楽をやっている人間ならテニミュを見るべきだ
と僕は思うのです(テニミュだけじゃなくてミュージカルならなんでもいいかも)

 

それではなぜテニミュを?
その理由についてこの記事では書いていこうと思います。

 

演技を通して表す、「キャラクターの仮面をかぶる」という行為

次の動画をご覧ください。


イリュージョン

これは立海大付属の仁王という
「様々な選手になりきってテニスをするキャラ」
です。(本編をよく知らないので曖昧ではある)

もちろんこの曲でもそんな彼のプレイスタイルをよく表している一面が伺えます。

0:37~青学の手塚や、四天宝寺の白石になりきって彼が戦う場面

彼の歌い方をじっくりと聞いてみてほしいです。

 

彼がキャラによってその声色を変えているのがわかりますか?

手塚なら落ち着いた声でその冷静さを出しています。
白石も冷静なタイプのキャラですが、手塚と違ってその声に艶を持たせて歌っています。

そして、仁王の声自体は冷静とまた違った、彼自身の「自分がゲームの支配者である」と信じて疑わないような余裕を持った歌い方をしています。

ここで知ってほしいのは彼らがどのような性格ではありません。


彼が役の性格を声色(音色)一つで自由自在に変えていることです。

 

実際、テニミュは音楽の正確性(ピッチやら)などの分野においては
少し残念な部分もあり、僕もちょいちょいネタにしているのですが()
「ダメな作品」といっているわけではありません。

むしろ、世界観の再現性において「かなり作り込まれた作品」なのです。

そこにはカラオケ採点のような「音程の良し悪し、ビブラートの細かさ」はありません。
純粋な「音楽という表現」がそこにあるだけなのです。
役者の「歌を使って、キャラを表現する」という簡単に見えてとても難しい営みだけがそこにあるのです。

気づかされる「性格や気持ちの仮面をかぶる」ことの大切さ

音楽をする人間は、「音楽で表現する。」という行為をする前に多くの情報にのめされてしまいます。

「誰々の歌が上手い。」
「あいつはビブラートができないので、下手くそ。」

僕らの体全身から聴衆に向けて吐き出される「音楽」は
そのほとんどが「上手いか下手か」という極端な評価として処理されてしまうのです。

その評価を受け、音楽をする人間も「より上手に、よりテクニカルに」を目指そうとしてしまいます。

そんな営みは本当に有意義なものなのでしょうか?
歌の所々でビブラートをかけ、上手い上手いと言われて満足でしょうか?

きっとそれも楽しみ方の一つなのでしょう。
しかし、それを決して「表現」とは言いません。

なぜなら、表現とは「人の思想、感情を何かしらの形として作り上げる営み」だからです。

完璧というものは「状態」であり、「感情や思想」ではないのです。

そのため、このテニミュをみてもう一度「表現」という心を大切にしてほしいです。

悲しいをどうやって表現しようか?嬉しいをどう表現しようか?
そこに脳みそを使ってほしいのです。

僕はそう思います。

 

ごちゃごちゃ言いましたが、
要は「テニミュ沼にハマれってことです」

 

最後に、テニミュの中でもお気に入りの立海大付属のとある動画を貼ります。


【テニミュ】神の子~DEAD END

はぁ〜好き。

終わり

上沼恵美子的評価が一番素敵である。

最近、M1グランプリが放送されて
芸人の誰かさんが審査員への暴言を吐いている
などのニュースが問題になっているそうです。

headlines.yahoo.co.jp

すごいな。
酔った勢いでこんなに目上の人に物が言えるのか。

やはりお笑い=芸術の一つと考えている
芸人様はいいこと言いますね(皮肉じゃなくて)

そのため、この発言に関してどうのこうのいうわけでもないし

実際に僕も音楽なんかで
自分の評価の尺度とは違うものでどうのこうの言われると
「何やこの人*1」なんて思ってしまうけど

 

今回はそんなことではなくて
とろサーモンの久保田さんがいっていた
「自分の感情だけで審査しないでほしい」
について書いていこうと思います。

とろサーモン久保田と彼を叩く人の考えは同じ

今回の件でとろサーモン久保田の発言に対し
「実力不足を審査員のせいにして負け犬の遠吠え」
と批判しています。

この発言の「実力不足」という部分をみてみると
「お笑いの大会で負けるのは実力不足」
という考えるのは
容易いと思います。

それをひっくり返してみると
「実力が伴っていればお笑いの大会で勝てる」
と考えるわけです。

この考えって極論
「実力というものでお笑いは評価されている」
ってのと同じですよね?

実力というものに審査員が点数を入れることで
お笑いの大会の勝ち負けは決まるらしいし
その大会のあり方に否定しているわけではなさそうですから
“公的な評価がお笑いの世界にはあると考えている”
と捉えてもいいだろうと思います。

 

そこで久保田氏の発言をあげてみます
「自分の感情だけで審査しないでください」
これはどうでしょうか?

自分の感情だけで審査をするなっていうのは
公的に評価をくだせという意味を持つでしょうから
つまりこれも
“公的な評価がお笑いの世界にはある”
ことの肯定でしょう。

 

つまり、SNSで彼を叩いている人は
気づいてはいないが
彼と同じお笑い論を持っているのでしたとさ

公的な評価の捉え方の違いでしかない。

それでは公的な評価ってなんでしょうか?

そこで芸術の大会(M1や吹奏楽コンクール)の審査員をみてみましょう。

みんなその道に携わって来た人でしょう。
例えばM1なら松本人志氏、オール巨人氏など

吹奏楽コンクールでは楽器のプロとか作曲者とか

決して“えっ!?吹奏楽コンクールの審査員にすしざんまいの社長が!?”なんて珍事は絶対にないわけですよ。

 

どの大会も関係者です。
人間は自分の経験でしか物事を見れません。

そのため、公的な評価とは
“職業的に素晴らしいと思った経験の蓄積に基づくもの”
に過ぎないというわけです。

多分、久保田氏の思う理想的な評価でしょう。
志らく氏とかもこういう評価の付け方なんでしょうね。

 

しかし、彼を叩く人は違います。

公的な評価を“誰もが面白いと思うもの”と捉えています。
それが確かか判断するすべはないですが

少なくとも「上沼恵美子の評価スタイル」について否定しているわけではなさそうですから遠からずといった感じでしょう。

そういった認識の違いだけで
彼らは久保田氏を叩いているに過ぎないんですね〜

結局、上沼恵美子が最強

それではどちらの公的な評価がいいでしょう?

僕の答えは“どちらもいいとは思えない”です。

その上で思いました。「私的な評価を下せる上沼恵美子ってすげえ。」

 

なぜなら、芸術が楽しむ側の生活に根付いているからです。

恋愛映画をみにいくのもキュンキュンしたいからじゃないですか。
カメラワーク良くても主人公らが微妙な関係のまま終わるとつまんねー映画になるわけですよ。

 

感動的な小説を読もうとするのは泣けるのを期待するからじゃないですか。
誰の死もないまま御都合主義的に終わるとどんなにいい出来でもつまんねー小説ですよ

 

映画を「撮影の上手さ」という観点でみるのも“撮影という行為が生活に根付いている”からじゃないですか。
どんなに感動的でもカメラワークがクソだとしょうもねー映画ですよ

 

そう考えると結局、自分の経験と生活次第なところありますよ、芸術って。

なのに、「評価」という言葉が入ると違う。
みんながみんな絶対的ないいものがあると思ってしまう。

自分はいい演奏だと思ったのに「吹奏楽コンクールで銅賞だったから、しょーもない演奏だったと書き換えてしまう自分がいる。」

自分はいい映画だと思ったのに「自称映画通の人が『この映画まじで映画わかってない』といったためにしょーもない映画だったと書き換えてしまう。」

特にインターネットで人が見えやすくなった現代においてそれは感じられます。

 

しかし、そんな現代においても
「私は嫌いだから」という評価を臆せず下せる上沼恵美子すげーなってなりました。

なんか2000文字も書いてましたしんどい。

 

 

 

 

 

*1:みんなそうでしょう?

いつも適当にヘラヘラしている僕が許せないただ一つのもの

はいどうもいきです
皆さん元気ですか?

僕は
京都や仙台の方に旅行に行ったり
最近インターンの選考会でお金を稼いだり(選考は落ちた)
地元のラジオで失態を晒したりと

 

それはまあ刺激的な日々を過ごしていました。

 

その度に「俺は忙しい。俺は忙しい。」
と暗示をかけることで自らの背中から
ただならぬ悲壮感を匂わすことに成功し
鬱陶しさを作り上げていました

はい、僕は元気です。
忙しいです。

まあ、そんな前置きはどうでもいいですね

今回はある一つの質問と対峙しようと思います

 

ズバリそれは
「許せないこと、教えて」

Mw....これは難しい…。

楽観的な人間なので
あまり自分の怒りという感情には向き合っていないのですよね

なので、許せないこと教えてと言われても
「わかりません、がっはっは」
としか言えないんですよね〜。

 

ところがどっこい質問者さんには
「そんな適当な回答をするのだったら
俺がお前を殺してやる」
と言われてしまうでしょうから
自分の怒りについて初めて向き合おうと思います。

高校三年のころそれは訪れた

無駄な見出し。

 

そう忘れもしない高校三年の秋
学校では読書の秋ということで
校内ビブリオバトルがありました。

 

僕はそのころ読書なんてクソほどもしていなくて
1、2年の頃は友達から借りた本を
“あらすじだけ読んでそれっぽく妄言で飾って紹介”
というワザップも驚く神テクで乗り切っていたのですが
(実際それでグランプリまでノミネートされてた)

3年生のころの僕は違いました。

しっかりと自分で本を選び
本の特徴を把握し
みんなの前で迫真の演技をする

完璧…!

 

優勝を見据えた僕が選んだ本
面白いトークをいう方法という
クッソ面白くない本

名前が曖昧にしか思い出せないくらい面白くなかった…

 

そのため、本の紹介の時にいったのは


「この本は面白いトークの仕方みたいなのを
起承転結を用いて上手に説明しているけど
あんまり内容は面白くないので
鍋敷きとかに最適かもしれません」

 

……

名子役……!

 

本の唯一の長所を多くの人の前で話せた僕は
この勝負かったなと思いました

 

しかし、結果は審査員に頭が足りないのか惨敗。

 

どうしてこうなったのか。

そう悩む間も無く進路指導の時間に…
担任に言われたのは

 

「お前は京都大学を志望してんだよな?
さっきのビブリオバトル聞いたぞ。
あんな知的じゃないものならお前は無理だ。」

 

はぁ?

なんやこのジジイ、脳が蟹味噌*1できてんじゃねえのか?と思っていたら加えて

「京大生はもっと知的な本を紹介する」

 

このホイ卒やろう…!

なんやこいつ、お前京大生ちゃうやんけ*2
ホイ卒が何を偉そうに
そもそも知的な本てなんやねん
論考でも紹介すればええんか?それこそドン引きされるわ
自称進学校なんて、快楽天*3でも紹介しとけば満足されるレベルなんだよこのやろう
いや、失楽天だ失r(ry

 

それが高校三年のころ唯一の思い出でした。

あの頃は、知的な本ってなんなんだよと思いながら悶々としていましたが

今ならそれがなんなのかわかる気がします

 

 

すてきな三にんぐみ

すてきな三にんぐみ

 

 

 

京大生のみなさまのご指摘お待ちしております

 

(多分まだあると思うので今度書きます)

*1:海老味噌かもしれない

*2:ちなみに担任は一浪九大 学生証を見せられれば広大生は塵芥となって消え去ってしまう

*3:快楽天は学校で全く流行らなかったすごい残念

質問回答 願いを言え

どうもいきです

 

基本的にかまってちゃん全開な僕は

(だいたい不平不満を言うときは

構って欲しいサインだと思う)

 

暇なのでよく質問箱を設置したりするのですが

 

今回、願いについての質問がきたので

それについて幼少期からの自分の夢と照らし合わせて

書いてみようと思います。

 

 

小学校低学年僕

将来の夢 サッカー選手

理由、なんでかよくわからん

サッカーやってなかったし

ちなみに運動は苦手でした。

野球をやっている兄の影響もあって野球嫌いでした。

 

あと野球部によくありがちな群れて騒ぐ感じもあまり好きではないです。

でもサッカー選手になりたかったのは

多分モテたかったからでしょうね()

 

 

小学校高学年僕

将来の夢 漫画家

理由 漫画が好きだったから

単純ですね。

子供のキラキラしたいい夢だと思います。

そんなシンプルな僕は

絵が下手くそというシンプルな挫折で夢を諦めます。

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↑モハメド・イキ(1234〜1135)『キリンさん』(茨城国立美術館)

 

↑高校のころの絵

 

 

中学校僕

将来の夢 ミュージシャン

理由 BUMPに憧れていた

中学生らしいいい夢ですね

ちなみにBUMPの中でも好きなのは

グロリアスレボリューションや三ツ星カルテットです。

 

なぜかわかりますか?

マイナーな曲好きって言ってた方がファンって気がするからね!!!

 

こんな人とは音楽の会話したくないですね

ちなみに高校の進路はガチで音楽科いこうと思ってましたが

ピアノ弾けんやんお前って言われ続けて諦めました

でも、自分の中でしっくりくる反論したのでミュージシャンは諦めてなかったです。

ããªã·ã£ã¬å天çãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

↑ピアノ弾けないやんて言われたときのロジカルな反論

ããªã·ã£ã¬å天çãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

↑対して親の主張。どちらがロジカルかは見てわかりますね

 

 

高校生僕

将来の夢 オーガスタミュージシャン

理由 スキマスイッチとか秦基博が好きだった

音楽科に行けなかったからミュージシャンを諦めた

というわけではないですよ

 

このときはもっぱらオフィスオーガスタ山崎まさよしとか

秦基博とか)の音楽ばかり聴いてました。

 

あの爽やかなサウンドが好きでした。

とんこつみたいな顔だけどな。

 

あと、弾き語りってスタイルがとても好きだったんです。

ギター弾けねえけどな。

 

今僕

浅くて広い僕だからフリーのなんかの仕事になればよくね?

今が一番適当だと自負してます

 

 

気がつけばずっと昔のツイート探ってた

以上