妄言を吐き出すところ

心が素直に歪んだ 綺麗な汚物大学生です

責任感から遠ければ遠いほど文章書くの捗る

あけましておめでとうございます
とか言いながら今年二つ目のブログ更新なのです。

これはブログ書いていて思うのですが
どうやら文章というものは
自分の責任感というものから遠いところにあればあるほど
文章書くこと自体とても捗るのですよ。

 

例えば、酔った時の夜、
文章書いてみよう〜って思って
思いつく限りのことをぱぱぱっと編集画面に打ち込んでみると
とても多くのことが書けるんですよね。

だがしかし、全く酔っていないし
「俺は発信するために文章を書いている!」
とかいう大義もって書いてみると文章書くのすごい遅くなるんですよね。

自分でもね、これなんでかなと思いながら考えてみると
どうやら「書いている文章に責任感を持とうとしているから」っぽいのですわ

どういうことだってばよって話ですが
簡単に言えば
文章を書きながら
「自分の考えがところどころ甘い」という点について
いやでも気づいてしまうのです。

自分の頭の中ではぼんやりと
これとても素晴らしい考えなのでは?
というものでも
いざ、文面で見てみればゴミのゴミみたいな形になってしまうのです。

でも、これを悲しむことはないなと僕自身は思っています。
なぜなら、自分で悩んでみるという過程こそが
「学びの過程」だと思っています。

自分自身が書いている物事について
正しいかな、本当にそうかな?
どのように思われているのかな?

そう考えながら文章を書くときほど
怖いものはありません。
今までも文章を書くときはそのような感じでした。

ネガティブな感情ばかりが
表現をする瞬間にはどうしても付きまとうものです。

しかし、レポート作成においては
とてもスラスラかけます。

なぜなら、
「もともと詳しくもないことについて書くことにおいては
書きながらの反省など微塵もしないからです」

そのため、レポート作成に苦しんでいる
大学生諸君は
「自己反省をすることのないような妄言」をいっぱい書きましょう。

これは僕が大学3年間で培ってきたスキルです。
授業のレポート(文系)が進まない理由は
「たいして、詳しくもないものについて責任感を持って
レポートを書こうとするからです」

みんな妄言を書きましょう。

 

※本記事はやっつけで書いています。