妄言を吐き出すところ

心が素直に歪んだ 綺麗な汚物大学生です

日記というものほど難しいものもない

日記というものほど難しいものもない
人生とは日記を毎日つけるほど日々が蜜で埋め尽くされているわけではないのだ。活動報告帳だったらまだよい。
2月◯日(何曜日か)
今日もまた生き抜くことができた。体が少し痛い。眠たい。量のないお金が欲しい。
これで十分なのであるから。しかし日記となるとその予定も全くないというのに架空の読者を思い浮かべて文を練ろうと考えてしまうい、一文字一文字に余計な汗をかいてしまう。この文だってそうである。私は読者のいない文をもし書くのならこのような形式ばったような文を書くことはないだろう。それは言葉を覚えたばかりの赤ん坊のようにひたすらと単語だけを羅列していくに違いない。それで理解できる自分はいるし、なんなら察することのできるような稀有な他者も存在するかもしれないから。そこで考えて見た、この世に他者の存在をまったく無視した作品というものはあるのであろうか(絵画、音楽、映画、小説などのあらゆるものについて)
自分の好きなものを作っていくというアーティストがいる。自分が好きなものとして作り上げた一つの作品も自分の好みを自己と呼ぶ他者に置き換えてその者のために作り上げているに過ぎないのではないかと
そう考えてみるとやっぱりトッポってすげえよな中身までチョコたっぷりで